こんにちは、コルクさんです(^ ^)
あなたは「考える」ということを意識した事がありますか?
よく日本人は自己主張が下手だと言われていますが、
あなたはどうでしょうか?
自分の主張するべきことは言えていますか?
外国人は言いたいことや思っていることを何でも口に出す。
日本人は優柔不断で自分の中に溜めてしまう。
こういうイメージを持たれている方が多いと思われます。
そういう国民性だから、そういう国だから、と言われればそれまでなんですが、
これは「考える」というのが大変重要になっているんです。
せっかくなので今日はこの「考える」「自己主張」という部分について一緒に考えてみましょう(^^)
外国人は日本人よりも「考える」のがお好き?
実は、考えすぎと思っている日本人よりも外国人の方が考えることが大好きなんです。
ハッキリ言うと、外国人よりも考えていないから日本人は自己主張が苦手なんです。
「えっ?思っていることをズバズバ言う外国人が日本人よりも考えてる!?」
と思われるかもしれません。
主張するのが主流な外国人はあまり物事を考えていないのでは?
外国人は言いたいことを言ってわがままなんじゃないの?
とイメージしているかもしれません。
もちろん個人差はおおいにありますが、
外国人の方が「考える」ということについては日本人よりも重要視しています。
これは、IQが違うとか人種がそもそも違うからとか、そういう事ではないんです。
日常生活を送る中で「考える」という場面が日本よりも格段に多いんです。
ここでいう「考える」とは日本人が陥りやすい感情的にひたすら堂々巡りで内側にこもって考えるということではありませんよ。
あなたは自己紹介できますか?
では、アメリカやシンガポールなど、世界中から人が集まる国をイメージしてください。
世界中から集まるという事は、多様な価値観・異文化・民族・人種が存在するという事ですよね。
そういう場所では人それぞれの考え方や価値観が違うので、
そういう社会ではあなたの中にある自分というオリジナリティが重要視されるんです。
となると自然と「考える」という機会も必然的に多くなってきます。
もちろん、他の国もそうです。
日本よりも圧倒的に外国人や異文化、異なる価値観に触れる機会が多いんです。
例えば、あなたは他人に自分を知ってもらう時、どのように自分を説明しますか?
少なくとも「日本国内で日本人に」というケースに限って言えば、何の問題もなく自己紹介できるのではないでしょうか?
年齢・職業・出身地・家族etc…
大体のことを話せば自分がどんな人物か相手に分かりますよね。
逆に相手が自己紹介したとしても、相手がどんな人かが分かりますよね。
自分という人間と相手がイメージしているあなたという人物像が極端にズレているなんて事はほとんどないはずです。
何度も言いますが、これは「日本で日本人に」という場合に限ってです。
では今度はアメリカで様々な人種・民族の人たちがいる事を想定して自己紹介してみましょう。
どうですか?先程のような自己紹介であなたという人間が明確に相手に伝わるでしょうか?
難しいですよね…(^_^;)
きっと自己紹介された相手の方は訳がわからないと思います。
逆にあなたが外国人にこのような自己紹介をされたら、その人がどんな人かハッキリとイメージできますか?
これも難しいですよね。
日本人は「考える」ことを知らない
1つづつ見ていきましょう。
まずは「年齢」。
これは確実に日本人だけが異様に気にする要素です。
世界的に見ても年齢に関しては自分からは言わないし、相手から聞かれることもありません。
年齢というものが社会の中で重要な要素を持っていないんです。
学校で例えれば分かりやすいですが、
日本のように、この年齢だからこの世代だ、みたいな状況ってないんですね。
飛び級なんかも当たり前ですし、社会人になってから大学に行ったりする人もたくさんいます。
新卒が一斉に就職活動するような事もありませんし、行き過ぎた年功序列もありません。
年齢で縛られるような社会にはなっていないんです。
13歳=中学1年生、22歳=新卒社会人と一括りにはできないということです。
年齢を言ったところで相手は???となります。
余談ですが、外国人(男女問わず)に年齢を聞くと失礼な人と思われるので注意しましょう。
次に「職業」。
職業そのものではなく、勤務先を言う方が多いのではないでしょうか?
これも外国人と日本人では意識が違います。
外国では、転職が盛んです。いえ、それが当たり前です。
仕事ができる人ほど転職します。
もっと行くと、自分で会社を立ち上げます。それが常識となっています。
なので勤務先が大企業であろうが、名前も知らない企業だろうが関係ありません。
それよりもどんな職種か?という部分を重要視します。
ただし職種においてもあくまで参考程度です。
自己紹介においては「職業」という要素も外国人にとってはあまり意味のないものです。
次に「出身地」。
こちらも同じで、聞いた事もない出身地を言われても???となるだけです。
あなたはアンダルシアとかブエノスアイレスと言われてもイメージできますか?
それは相手にとっても同じで、日本の都市を言ったとしても相手にはピンときませんね。
そこで、あなたが日本出身だとわかった相手は何を聞いてくると思いますか?
あなたを知る手掛かりとして、日本のことについて詳しく聞いてくるでしょう。
日本のことについて詳しく知りたいのではなく、あなたがどう答えるかで、あなたがどんな人であるかを知ろうとしているんです。
もちろん日本人でも日本の全てを把握しているわけではないので全てのことについて答えられないとは思います。
ですが、ほとんどの質問に「知らない。分からない。」と答えていたらどうでしょうか?
相手はがっかりしますよね。
しかも、自分の国のことなのに答えられないという事は、相手が思っている以上に自分が恥ずかしいですよね。
立場が逆で自分が質問したことについて「知らない。」「分からない。」と答えられたらどうでしょう?
少なくとも楽しい会話にはならないですよね。
結果的に、状況次第では信用できない人と思われたりするわけです。
こういう事態を避けるために、外国人は「考える」のです。
相手に聞かれそうなニュースを見て答えを用意したり、雑学になるような事や笑える話のネタを探すんです。
ジャンルは様々、芸能からスポーツや政治まで何でもです。
分かりやすく言うなら、テレフォンショッキングや徹子の部屋などのバラエティトーク番組で何を聞かれてもいいように準備しておく感じです。
こういった事前の準備で、自分がどのような人物なのかをしっかりと伝えるんですね。
日本人がしていないとは言ってません。
あなたも意識していないだけで自然とやっています。
それ以上に外国人が「考えている」だけです。
多種多様な人種が集まっているので、
「どうしたら分かりやすく相手に伝わるかな?」
と、常日頃から考えているんですね。
それも日本人とはかなりレベルの違う視点で。
そういった人たちの習慣が「考える」文化を形成してきたんです。
ここが日本と外国の考え方の違いなんですね。
「考える」を教えない日本
少し前置きが長かったかもしれませんが、
なぜ日本人が自己主張が苦手なのか?について見ていきます。
外国なんかではよく、学生の頃からスピーチをしますよね。
教育プログラムに組み込まれていたり、討論会やスピーチ大会など、そう言ったイベントが学校で開かれたりしています。
学校で「話す」ということについて学ぶという事です。
海外ドラマなんかを観る方ならそういったシーンを必ずと言っていいほど見たことがありますよね。
その他の授業でもそうですが、外国では自分の意見というものが重要になってきます。
日本の授業では、先生が教科書によって決められた答えについて延々と生徒に教えますよね。
基本的に生徒側から意見を言うなんて事はほとんどありません。
ですが、外国では自分の意見を重要視しているので、答えが1つと決められていません。
正解かどうかよりも、そこに至った過程、つまり個人個人の考え方を重視します。
歴史の授業で言うと分かりやすいと思うので例を挙げてみますね。
では、鎌倉幕府について授業をしたとしましょう。
日本では、ひたすら人物名と年号を暗記という形で覚えさせられます。
その過程に何があったかは余談のような形で先生が紹介する程度です。
外国だと、人物や年号はそれほど重要ではありません。
鎌倉幕府が成立した過程を生徒自身に想像させる授業をします。
客観的にみてどう思うか?自分がその立場なら幕府をどう動かすか?
この違いです。
「考える」という点においては日本の授業ではほとんど扱われないということが分かったと思います。
いかに自分の意見を相手にはっきりと伝えるか?という事を日本以外の国では大切だと考えているんですね。
ここで言えるのは、日本人が自己主張が下手というよりも、自分の意見を言う環境・機会がない。
圧倒的に主張に慣れていないという事です。
一番分かりやすいのは、高校から大学に行った時です。
高校は与えられるものをこなせばどうにでもなりましたが、
大学はどうでしょう?
自分で授業を選択して、積極的に事業に参加しないとついていけませんよね?
「考える」という部分に触れてこなかったために起こる日本人特有のギャップの一種です。
会社の会議なんかでも、主張に慣れていないので必要以上に上司に気を遣ってなかなか意見がまとまらず何時間も無駄にしているなんてことも多いと思われます。
まるで会議をするための会議みたいになっていて「一体何をやっているんだろう??」と思えてきたりもします。
と、このように主張するという認識が子供の頃から培われてこなかったので、主張するという概念がほとんどないんです。
「考える」はこれからの時代になくてはならないモノ
日本人がよく誤解しがちですが、
主張=ワガママ、文句
ではありません。
しっかりとした個人の意見です。
日本人に特に多くみられるのですが、
自分と違った意見が出ると、全てを否定された、人格否定されたと感じる方が多いですが、これは錯覚です。
子供の頃から議論すると言うことに慣れていないのでそう思うだけです。
ここは絶対に履き違えないでください。
でもそう思っても仕方がない部分もあります。
何度も言いますが、「考える」や議論するスキルについては教育の部分で触れていませんからね。
まるで、考えさせないように仕組まれているのでは?黙っていう事を聞くロボットを量産しているのでは?と思うくらい日本の教育方法は特殊だなと思います。
企業が過剰にクレームを恐れるのもこのためです。
最近窮屈な社会になってきたなと感じるのも、議論して解決するという事を後回しにしてきたツケが溜まってきているからです。
社会の様々な問題に対して、考えて解決する事を放棄しているように思います。
日本にいると外で出会う人のほとんどが日本人ですよね。
いちいち説明しなくても、得意の空気を読む行為で済みます。
周りと違う意見を持つとそれだけで浮いた存在になってしまいますからね。
そこにいきなりグローバルの概念が入ってくるとどうでしょう?
みんな違って当たり前の世界。ムラ社会ではありません。
外国人と触れ合う、つまり異文化に触れる機会が乏しかった日本人にとっては戸惑って当然ですよね。
これからのグローバル時代、相手にしっかりと自分の意見を伝えなきゃわからないんです。
異文化異民族の人に誤解のないように自分自身を伝えるためには「考える」ことが必要なんです。
ただ、教育システムを変えたところでどうにかなる訳ではありません。
文化というのは日常の細部にまで浸透しています。
対策をしたからといってどうにでもなりません。
「考える」という点においては、それくらい世界から隔絶されている環境に我々は住んでいます。
でも悲観しないでください。
日本人は自己主張が下手で当たり前です。
だって「考える」機会が他国に比べて圧倒的にないですから。
でもこれは開き直りではありません。思考停止でもありません。
訓練すればいいだけです。練習すればいいだけです。
習慣です。何度も何度もやっていくうちに必ず上達します。
しかも日本人が「考える」ということに無頓着ならば、
これを読んでいるあなたにはチャンスがあります。
日常的に浮かんでくる自分の意見やアイデアなんかを意識して考えてみましょう。
日本に限った場合ですが、かなり簡単に他人より先んじることができます。
視点を変えれば、日本にいるあなたはおトクということです。
「考える」事を、外国では当たり前ですが、日本ではほとんどの人がやっていないという事です。
自分で物事を見極めていきましょう。
「考える」ことで自分の意見を他人にちゃんと伝えられるし、くだらないメディアに踊らされることなく何が正確な情報なのかがわかるかもしれません。
何よりも自分がレベルアップできる発見が日常の中であるかもしれないことが、大きな糧になります。
これを機に「考える」という事を日常の中に意識づけてみてはいかがでしょうか?
この「考える」と関係があるのかも知れませんが、▼こちらの記事も大変興味深い内容となっています。
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